2012年1月15日日曜日

追憶シリーズ(7) 別離の季節


この投稿が一連の回想と私自身のKS製作についての最後の記事になる。が、だからと言ってもはやこのブログが更新されないと言う訳では無い。今後何かニュースや発表があればここに投稿するだろうし、もしかしたら他の4LSメンバーがまだ書き足りないと感じているかもしれない。何にせよ、ここまで読んできてくれてありがとう。

私が現在住んでいる地域では、今はすっかり冬景色になっている。暗く、雪が降り、そして凍えるような寒さ。そんな状況の中でこのゲームの舞台となる日本北部の春というものを自分の頭の中で想像するには、いくばくかの努力が必要だ。今も冷たい風が着ているシャツを突き抜け肌に突き刺さる。だが思い浮かべるんだ・・・そう、桜の花だ。あの絢爛豪華な桜の花がそこにあるはずだ。季節は勿論、春。歩道の両端には美しく映える桜の並木が揃い、人々が行きかう。今日は山久高校の卒業式。そして私もそこに参加している。


卒業生たちが校舎へと歩いていく。彼らにとってはこれが最後の登校となる。上のMikeの絵のように、その様子は非の打ち所もない。会堂に入ると、そこはすでに人で溢れている。彼らの音を抑えたささやき声からですら、興奮しているのが感じられる。その場から聞こえてくるのはまさに「不協和音」(この言葉が使えて本当にうれしい)。みな一様に、緊張しているようだ。その中で、なじみ深い顔がみんなそこに居るのが見える。久夫、静音、ミーシャ、そして華子。琳と笑美。リリーと健二。先生達も。みな一同に、ここに集まっている。

そしてきっと私達も全員、ここに居る。4LSのメンバー全員が、お互いに気づく事なく、この場所のどこかで一緒に立っているのだ。私達が先の一週間の間に感じてきた事を喩えるならば、それはまさにこのような卒業式と言えるだろう。

静音が送辞を述べるかもしれない。私たちが書くようなスピーチを。卒業式には何度も出席した事があるが、スピーチと言うのはその中でも一番重要な部分だ。良き語り手は聞き手の心をつかみ、そして揺さぶる事ができる。しかし下手な者が行うとその式自体が長く苦しい拷問のように思えてくるのだ。はたして静音のスピーチは良いものとなるだろうか。

そして卒業証書授与式。一人ひとりの名前が呼ばれ、壇上へとあがって行く。華子は大観衆の見守る中でも冷静にしていられるだろうか? 琳はいったいどうやって証書を受け取るのだろうか? 想像していると、そんな些細な疑問が浮かんでくる。

ついに式が終了する。退場した人々が交じり合う雑多の中、みな一様に緊張から開放され、今度は感情の波が押し寄せる。涙を流しながら、それでも笑顔で、抱きしめあい、いつまでも友達で居ようと約束を交わす。クラスで会話を交わす事のなかった同級生でも、こんな日だけは大親友のように思えてくるものだ。この中には、今後一生会うことのない人もいるだろう。何年も経った後、まったくの偶然でばったりと出会う事のある人も居るかもしれない。遠い未来の事にそんな事が起こったなら、今日と言う日は二人にとって大切な共通点になるはずだ。心の中に喪失感を覚えるかもしれない。今まであって当然だった生活の一部が、今まさに終わりを告げたのだから。私自身、その気持ちには非常に共感を覚えている。

かたわ少女完全版の公開は、私達の卒業式だったのだ。

日々過ぎてゆく人生の中で、私たちは常に過去と未来の狭間に存在している。卒業式のようなイベントはその事実を私達に改めて認識させてくれる。それも道標なのだ。人の人生に起こりうる、急激な変化の印だ。この祭典の為に正装し、一輪の花を胸元に添える。もちろん、その姿を見に来てくれる人たちもいるはずだ。置いていかなくてはならないものもあるだろう。だがそれは同時に、新たなる門出なのだ。未来は私達の目の前に開けている。今居るこの場所から、望むがままに行き先を選び、足を踏み出していける。

かたわ少女製作の道のりは長いものだったが、今ここに終わりを告げた。
みなと共にここまで来られた事をとても幸せに思う。みんな、ありがとう。

- Aura

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